Waltz with Bashir - バシールとワルツを

イスラエル人監督による映画を観に行ってきました。
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1982年、レバノン戦争の最中に、ベイルートのサブラ・シャティーラ難民キャンプで、パレスチナ人の大量虐殺が行われた。イスラエル軍に協力したレバノンのキリスト系(ファランジスト)の軍隊によって、少なくとも800人(wikipediaによる)のパレスチナ人(ほとんどは一般市民)が殺された。
この映画はその戦争に加担したある一人のイスラエル兵の記憶を辿って描かれたアニメーション作品。
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そのイスラエル兵とは監督Ari Folman (アリ・フォルマン)自身で、彼はレバノン戦争を経験してから、そのときの記憶がなくなっているという状態にあった。レバノン南部で加わったあらゆる戦闘のことを彼はまったく覚えていない。虐殺が行われたキャンプに行ったときのこと。虐殺があった日、自分がどこにいて何をしていたのかも。
レバノン戦争から20数年経ったある日、フォルマンは軍隊時代の友人に誘われバーに出かける。お酒を交わしながらした会話が、その友人が夜見る夢の事。レバノン戦争の記憶の断片が悪夢となって彼の夢に現れるのだという。その夜、フォルマン自身もレバノン戦争からのフラッシュバックが夢に現れるようになる。
そこからが映画のはじまり。
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レバノンでわずが19歳だった自分は何をしたのか、何を見たのか。(イスラエルでは男子は18歳から21歳まで、女性は18歳から20歳までの徴兵がある)
フォルマンの見る夢は、ベイルートのビーチで部隊の仲間と一緒に裸で海に浸かっているというもの。ゆっくりと海からでる彼らの目の前には、高層アパートがそびえ立つ。絶え間なく打たれる夜間灯がまるで花火の様。でもその光景そのものにはなんだか現実味がない。
えーこれ以上は書くとネタバレになるので。。。
ちなみにこの映画のタイトルの元も、映画をみればわかると思います。
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この映画全体として思った事は、ある戦争の悪や陳腐さを描いた「反戦映画」でありながら、一兵士の経験に焦点がおかれ、決して「他者」(ここではレバノン人やパレスチナ人)の側にスポットを当てるという公平さが無い事。これが実はこの映画のポイントになっていると思う。わたしがこの映画をとても好きになったのもそれが理由だと思う。フォルマンの個人的な記憶の作品になっていることで、ある若者がある外国の戦場で経験すること、そしてそれが人間に対していかなる結果をもたらすか、ということの重みがよく感じられると思う。上映前に監督が、「この映画は、イスラエル兵だけに限らず、過去に起こった戦争に参加したあらゆる兵士の話にもなりえるし、今イラクにいるアメリカ人兵士の話にも、そしてある日故郷から遠く離れた異国の街で目覚めて『ここで何をやってるんだろう、自分は』と自問する人の話にもなりえる。」みたいなことを言っていた。
この映画に出てくる兵士や軍人たちの姿も、おそらく事実に限りなく近く描かれているのだろうと思う。アニメーションなんだけど。ある種のドキュメンタリーでありながら、アニメーションという表現方法。映画をみながらそれぞれの場面で、「今時分の見て聞いていることは?」、とはっとなる瞬間が沢山ある。そういう意味で「楽しめる」映画ではあるけれども、何よりもこの映画は、戦争の真実をかなり忠実に伝えているのではないかと、私は思います。誰が死んで何が壊されて、というだけが戦争ではないということを確認できると思う。


ちなみに、オリジナル音楽はMax Richterサンです。
Waltz With Bashir 公式サイト