年が暮れる、か。

街で会う人、お店の店員さんや職場の人が“メリークリスマス”と言う時期も過ぎて、みんな“良いお年を”と言い始めた。大晦日はお家か友人宅で鍋でも食べて蕎麦でも食べてゆっくり過ごすつもりが、急遽ライブを観に行かなくてはならなくなった。31日午後11時から始まって、朝日が出るまで。街に出るのが面倒くさい気もするけれどこのライブ情報を見つけてしまったので観に行かなければならない。。。しょうがない。ちなみにこれはWollesensという即興ジャズバンドで、Kenny Wollesenというやり手ドラマーがやっている。メンバーが皆、コードのみが書かれている大学ノートみたいなものを持っていて、Wollesenが“○○ページ!”と叫ぶと各々がそのページを開き、いきなり演奏し始めるらしい。そして近年は大晦日にしか観られないバンドらしい。去年は本当に面倒くさくて見逃したのだがこれが大間違いだったらしい。今年こそは見なければ。
そして翌朝は海開き。(詳細は前の日記を)一緒に行ってくれる友人が一人見つかりました。とても嬉しい。

誕生日会


そういえば、27日は旦那さんの29才の誕生日でした。プレゼントに、友人とお金を出し合ってipodを買ってあげました。このことは当日まで内緒で、“家に持って帰れないぐらいすごく大きいものを買ったんだよ”と嘘をつき通したのでこれには本人驚き。長年MDを使い続けている彼にとっては“アイポッドォ??いいよ別に俺は”という考えがずっとあったらしいものの、最近になってやはりその便利さに魅力を感じていたようです。そりゃ便利だよ。そして小さいサイズのNanoという機種を選んだので、何百曲か何千曲入るのか知らないけどこの小さい“板”から音が聞こえてくる、というのはとても奇妙なものです。私は今でも“んぁ?アイポッドォ?”という考えしか持っていません。でもランさんが毎日この板をポケットに嬉しそうに入れて歩くのを見るとこっちも嬉しくなる。
ちなみに、私がプレゼントにとても大きいものを買った、と彼に嘘をついた時、彼から“もしかして、馬を買った?”という発言がありました。馬なんて買って家のどこに置くの、とか、ポリが怖がる、という議論にまで発展しました。あー面白かった。

ひさしぶりの映画館で

“Paradise Now"という映画を観た。イスラエル自爆テロを実行しようとするパレスチナ人男性2人の話で、事実に基づくフィクション。観る前からわかっていたことだけど、黙り込んで考えてしまう映画だった。感想だけ簡単に。
極端ではないけれど、プロパガンダ的な要素があちこちに見られる映画だった。でも何というか、世に出されるべき種のプロパガンダだと思う。(だいたいプロパガンダという言葉自体はっきりしなくなってくるので使わないほうがいいのかもしれないけど。)どうやって言ったらいいだろう。この映画自体は、パレスチナ側の主張を象徴するような宣伝映画ではない。パレスチナの攻撃に反対するパレスチナ人の言い分もよく描かれている。こりゃないだろう、と言いたくなるような大袈裟な表現もちらほらあるけど、ただ明確に言えることは、二つの側の違いが大きすぎる。イスラエル側にあってパレスチナ側にないものは、どこでも好きなところに行って好きなことをできる自由。誰にでも出会える自由。貧富の差は言うまでも無いけど、もちろん、貧富の差だけで生じている問題ではない。わかりやすい問題じゃないと思う。でもこの映画が強調しているところはある程度白黒はっきりしたわかりやすい状況なような気がする。例えば、テロ実行に向かうのは貧しい家庭に育った青年だったり、パレスチナの中でも裕福な人はテロ行為を理解しない、とか。だから二つの側の状況をつかむためには、これは必要な表現なのかどうなのか。。。。といったところで、やっぱり映画だし。
テロ実行組織の一番の失敗は、向こう側が見えていない、ということ。たまたま反対側に暮らしている罪の無い人々をぱたっと殺す、ということについて全く考えない。いかに彼らが自分を信じて、(そして神を信じて)ひどく真っ直ぐな信念を持っているか、というところがよく見られる。やっぱりこれが一番恐ろしいことだと思う。そして“向こう側”を全然知らない若い青年をテロ実行に送る。
人生の中で壁の向こう側には1度しか行ったことのないような青年が爆弾を隠したスーツに身をまとってイスラエル側に侵入する。彼らはイスラエルのことはほとんど何も知らない、と言ってもいい。見る機会が無いのだから。そして結局、イスラエル側に入ってテルアビブの街を見た2人の青年のうち一人は、自分が暮らしている街とのあまりの違いに怖気づいてしまう。こんな場所で自分ひとりが反抗の主張をしたところで、何が変わるのか、と。このシーンが本当に印象的だった。青年の目に映るテル・アビブの街があんなに悲しく見えたことが本当に、悲しかった。けどこれは決して悲しいという言葉で片付けられない。自分の家族が暮らす国で今実際起こっていること。
漠然とだけど、何か出来ることを探したくなった。この映画を観れてよかった。