イスラエル 3)場所


イスラエルは本当に美しい。自分に信仰心がなくても、なんとも神聖な、尊いような、そんな雰囲気の場所が沢山ある。ただ単に車の窓から見える小高い丘とか、そこら辺にころがる岩とか、些細なもののひとつひとつがとっても大切な風景になる気がする。先入観が大きいのかもしれないけど、なぜさまざまな宗教を尊ぶ人々がこの国にあつまるのか、なぜ彼らがエルサレムの丘に憧れるのか、わかる気がする。そうやって考えて、なんともいえないような感情が静かにこみあげてくる。自分の育った美しい田園風景とは、全く違う美しさ。中身は複雑さや悲しさが入り混じっている場所だけど、この国を作り上げている土や石が本当に美しくて愛しいと思う。
(独り言:“この国”という言葉を書くのにさんざん迷ってしまった自分のナイーブさがいやだ。あああ。国は国なんだからまあ、いいじゃないか。。。)
とにかく、小さな国なのに見る場所が沢山ある。車があれば移動が簡単なんだけど、面白いことに、ここに居ると移動時間の感覚が狂ってくるのです。そこそこのあの街まで行くのに2時間もかかるよ、やめとこっか。みたいな。とういわけでそんな怠惰を振り切って今回は色んな場所を訪れました。

カイサリア(Caesarea)


紀元前1世紀に建てられた海辺の街。これは、砂浜にどでーんと立っている水道橋。いきなりこんな大きなものに出会えて嬉しかった。ローマ時代に栄えたこの街には、大きな屋外劇場や競馬場、お風呂、酒場などを備えた住居などがある。これが、劇場:

そして、Hippodrome(競馬場といえばいいのか、競技場といえばいいのか、人殺しのエンターテイメントなども行われた場所):

全て海辺にある、っていうところがとても気持ちいい。状態を保つのも困難なのだろうけど、すべての建物に足を踏み入れて見て触ることができる。入っちゃダメ、という柵とかが全然ないのね。その割にはモザイク模様やら、すごく綺麗に残っている。
 
ローマ帝国の人達もハート模様が好きだったのね。おほほ

修道院

古くからの修道院を見て回るのもまたよし。小さな街のあちこちに点在している。まずは、Latrounというところにあるトラピスト修道院を訪問。聖堂には、午後の日の光が差し込んで本当に綺麗だった。

ここではワインやオリーブ油が修道士さんたちによって作られている。修道院のワイン、どうなのかな〜と思って買ってみたけど、これがひどくおいしかったので、翌日同じ場所に戻って3本ぐらい余計に購入することに。しかも1本400円ぐらい。感激です。
もう一つは十字軍によって建てられたこれまた古い古い修道院。薄暗い聖堂の中は、モザイク画でいっぱい。やさしそうなおじさんおばさんたちが、フランス語で楽しそうに話していた。彼らはここで陶芸品を作っているようです。

エルサレム


今回は家族や親戚や友達や会いたい人が沢山いて、エルサレムまで足を伸ばす時間があるかどうか怪しかったけれど、やっぱり行くことに決めて本当によかった。金曜の午後に行けたのがラッキー。というのは土曜日はユダヤ教の休息日なので、前日の金曜の街はとにかくわんさかわんさか忙しい。市場は買い物をする人でいっぱい。正統派ユダヤ教徒の人々は、土曜日には仕事をしないどころか料理もしない。ほとんどの店は閉まります。エルサレムにある建物は、外壁を天然の石で作らなければいけないという法律があるそうで、そのおかげで街中の建物はみんな情緒たっぷり。今回は嘆きの壁などがある古い地域には行かなかったけれど、Machane Yehudaという名前の市場をぐるりと回って、買い食いして楽しみました。そんな楽しい市場の様子は、“食べ物物編2”で書くことにします。はい。
 
あのお山の上がエルサレムだよ〜。

アッコ

あまりにも綺麗な街なんで、この街にちなんでもし、娘にアコちゃんていう名前を付けたら、変かね?とダンナに訊いたら、そんなもん、子供に札幌、ていう名前を付けるようなもんだ、と言われた。そうかねえ。。。
ここも古い街。海に面していて、漁業も盛ん。古い地域のほとんどがアラブ人の街。なので、街のあちこちにモスクがある。私もそのモスクの一つにおじゃましました。

まず、生まれて初めて入ったモスクの美しさと、この場所でイスラムの人々の心が支配されるんだ、という感じになんだか妙に興奮してしまった。単純に視覚から起こる感動と、その一方でイスラム教の思想というものが恐ろしいものになってしまっている現実。いろんな気持ちが混ざる。しばらく言葉を失ってしまった。イスラム教のことをもっと知る必要がある。今回の旅で、ただ単にイスラエルを楽しむより、パレスチナ乃至アラブ人の存在をもっと知りたい、目で実際に何か見てきたい、と思ってきたのだけど、なんか、とても簡単に見えるのは貧困の差とか、それぐらいで、それも目をつぶって通り過ぎることぐらいしかできなかった。温厚的にユダヤ人と一緒に暮らすアラブ人もいるのを見ては変な安堵感みたいなものが感じられて、やっぱり観光客として来ているだけでは全然何も見えないの?と思った。ただここでモスクを見て、何か別のものが感じられた、というか、彼らの信仰心を感じ取るなんて大袈裟なことではなくて、外側から考えて意見するために見る必要があるものを見た、という気がする。うまく言葉で説明できないけど、これを説明できるようになりたい。
あと、もうひとつ忘れられないのが、アッコで食べたフムスのうまさ。“官能的なおいしさ”とでもいえばいいのでしょうか。誰がどうやってあんなにうまいこと豆をすりつぶしてペーストを作るんだろう。おかげで胃腸の調子も抜群で、旅の楽しさが増した。
以上、旅の主な訪問先でした。