現代の視点で

最近、本探しに行ってはあきらめて帰るだけだった紀伊国屋NY店で、エドワード・サイードのこの本を勇気を振り絞って買った。(高かった。。。)

オスロからイラクへ―戦争とプロパガンダ2000‐2003

オスロからイラクへ―戦争とプロパガンダ2000‐2003

アラブ系新聞『アル=ハヤート』と『アル=アフラーム』に連載された記事、その他。何十年にもわたって現在まで続いているイスラエルパレスチナ問題についての記事だ。この文章を書き終えた2ヵ月後(2003年9月)に、彼は亡くなった。
今読み始めたところだけど、とてもパワフルで、とても押されている。記事は2000年に書かれたものから始まって、03年の7月で終わっている。私はイスラエルのこと等に関して今まで古いものしか読んでこなかったので、この本は新しくて新鮮。
イードの言葉選びは、あまり真っ直ぐに受け取れない、というか、ぐんぐん引き込まれて読む自分を少し落ち着かせなければいけないことが頻繁にある。彼はパレスチナ出身だし、つねにアラブ人として文章を書いてきた人だろうから。イスラエルを滅茶苦茶に叩いてる、と言ってもいいんだろうけど、彼の文句一つ一つとってこれはプロパガンダ的、とか大げさ、とか言ってみても、それはどうしようもないんじゃないかなあ、とも思う。大切なのは彼みたいにひどく正直に、ぼんぼん何でも言える人がいる、そして本なり新聞なりで彼の言葉が発表される場が沢山ある、(親交的にも反抗的にも)ということだと思う。表面では、例えば“アメリカの金持ちのご機嫌を取るために書かないほうが良いこと”みたいなのが沢山ありすぎると思う。サイードはそいうことをバンバン発言している。パレスチナ人に対する差別や土地の縮小等の問題の他に、西側諸国やアメリカとの関係や、それらの国での問題の受け止められ方等も沢山書かれている。(彼はNYのコロンビア大で35年間教えた)
私はイスラエルに家族が居るし色んな意味でイスラエルが大好きだし、でもパレスチナにも、アラブの国にも、行ったことが無い。そういう意味で、サイードの言っていることはぐんぐん視野を広げてくれるし、その一方でそれをそのまま鵜呑みにするべきなのかな、と疑問を感じることも出来る。
そんで、書こうかどうしようか迷っていたのだけど。。。
イスラエルに行ったときにこんなことがあった。ある日の夕食の後に、旦那と、旦那の友達(カナダ人)と、旦那の母さんと4人で他愛の無い話をしている最中に、パレスチナの話になった。義母さんはこのことに関してとても感情的になりやすいので、実はあまり話したくないな、と思っていたのだけど。彼女はごくふつうの働く母さんで、信仰的なユダヤ人でもないし、目立ってナショナリスト的な性格も持っていない。海外旅行が好きで、買い物が好き。でもパレスチナの話になると、誰も口を挟めないほどの勢いで話し出す。“アラブは○○”とか、耳を覆いたくなるような発言が沢山出る。(そこで耳を覆ってはいけないのですよね。)
パレスチナ人は皆イスラエル人の破滅を望んでいる。皆一人残らず。私たちと話し合いしたい人なんて一人もいないの。みんな私たちを殺したいだけ」
私はショックやらで何も言えなかったんだけど、誰かが「でもね、彼らに対してイスラエルのやっていることは。。。」と言おうとすると、「ホロコーストを忘れたの?」の一言が。そこで、私は止まってしまう。何も反論できないじゃないの。加えて、「他の人々(other people)にはわからない」、とまで言い切ってしまう。
わからないから今話してるんじゃないか。
でも彼女のこの言葉で、何かピーンときた。本当に、壁の向こう側が見えて無いんだ、と感じた。彼女の意見が他の多数の人の意見だとしたら、そして他の多くの人が彼女と同じような性格を持っているとしたら、(おそらくそうだろうと思う。サイードも本の中で、“イスラエル人はごく普通の生活を好むごく普通の人々”みたいなことを言っている。)やっぱり一番の問題は自分たちの生活しか見えてないんだ、ということだと思う。そしてそれはひどく恐ろしいこと。彼女のように、ユダヤ人のための土地(神聖な)をもっと手に入れるためにパレスチナ人を追いやりたい、というよりむしろ、テロ等の恐怖から開放された普通の生活が欲しいんだと思う。じゃ、なぜ自爆テロが続くのか、っていったらイスラエルパレスチナ人に対してやっていることを、公平に知り、冷静に考えるのはいくらか単純なことだと思うのだけど。もしパレスチナ人の皆が皆イスラエルに対して同じ憎悪を持っているとしたら、今までイスラエル人はどうやって(比較的)安全に、あんな立派な家に暮らすことができてるの?
義母さんが住んでる町には、5キロほど離れたパレスチナ人の村から、毎朝日雇いの仕事を探しに歩いてやってくる人々がいる。この地域はまだコンクリートの壁が建てられていないので、彼らは小さなフェンス越しにやって来る。イスラエル人の家で庭仕事や家の修復などをするらしい。そういう仕事は、パレスチナ内での仕事よりもかなり割が良い。義母さんの家の庭から、そうやって歩いている彼らの姿が見える。毎朝道のない荒地を歩いて、夕方になると戻っていく。義母さんが毎日そんな彼らの姿をすぐ横に見ながら、“パレスチナ人は。。。”とか言えること自体が問題を語っていると思う。
そこにも近い将来、大きなコンクリートの壁が建てられるらしい。そうやってとなりの村に住むパレスチナ人は職を無くしていく。
イードの言葉で、今まで見過ごしてきたイスラエルパレスチナでの、人間として生きる生活のあまりの違いに改めて気がついた。

つづく。。。