イスラエルについて

毎日イスラエルによるレバノンへの攻撃はひどくなるばかりで、最初のころに思っていた“戦争の戦い方”なんていう言葉は今は全然通用しそうにない。最初から戦うべきではなかった戦争なんじゃないか。"what they (israel) do is justified but how they do is not."(イスラエルがやることは正当化されるけど、どうやるか、ということは正当化されない)と思っていたし、そしてこの言葉には少しの正当性はあると思っていたし、ヒズボラの卑怯なやり方も無視は出来ない(民家に隠れたり、標的を定めない攻撃をしたり)と、思っていた。昨日の朝電車の中で誰かが読んでいた新聞の一面に(カナでの空爆に関して)"ENOUGH"と一言、恥ずかしいぐらいでかでかと書かれているのを見て、なんか漠然と、ああその通りだよ、って単純に思ってしまう。
30日にイスラエル軍空爆によって破壊されたカナ(Qana)の建物の中には、子供やその家族らが一緒になって固まったような状態で死んでいるのが見つかったらしいです。瓦礫の下から今までに発見された遺体は60以上で、その半分以上が子供、子供の中の約半数が何らかの障害のある子だったそうです。
イスラエルは戦い方を徹底的に無視しているばかりでなく、もうこれ以上何をやってもこの国の自己防衛という言い訳はきかなくなってしまっている。約2週間前攻撃が始まったばかりの時、イスラエルレバノン南部の道路や橋の破壊を始めた。この攻撃がヒズボラの兵器運輸を妨げるため、という口実があったにせよ、このことによってまず住民の避難の手段が大きく減ってしまった。そこで、空爆を強化するので“住民に避難を呼びかけ”たとしてももう遠くへ逃げられない人々は沢山いる。老人や子供、障害のある人たちならなおさらのこと。タクシーの値段は米ドルで何百ドルにも跳ね上がって、比較的安全な場所へ避難できるのは一握りの人しかいない。そこへ「あの建物の中に市民がいたとは知らなかった」(IDFのスポークスマン談)とは言えない。書いているこっちも感情的になっているとしかいえないけど、戦術とか、そんなものは本当はもう彼らの頭の中にないんじゃないか、と思えてくる。イスラエルは自分で作り出した泥沼に自分で嵌ってしまっている様だ。
ただ、今はイスラエルに対して非難することが当たり前のようになっているけれど、私はイスラエルのためにも今戦いは止めなければいけない、と思う。イスラエルが殺せば殺すほど、‘イスラムシーア派民兵組織ヒズボラ’は自分達の行動への正当性を増す。そうやってテロリストの飛ばすミサイルがイスラエルとの国境を越えて危害を与えるだけでなく、イスラエル軍の“頭”をどんどん空っぽにしていく。(といってもイスラエルでは防空壕や避難のシステムも整っていて、レバノンに比べれば非常にちゃんとしている。 。。。という事実まで。)
その背景にあるのがアメリカ・イギリスの(特に軍事的にアメリカの)イスラエルに対する支持であって、この大国が押すイスラエルの攻撃によってテロリスト組織の自己正当化を増す、ということは今後さらに大きな規模の悪循環に陥るということも避けられない。というか、今の戦争でイスラエルにもたらされる利益は、ひとつもない。

P-navi Info さんのページで次の文章が引用されています:

イスラエルは、四国四県を合わせたよりちょっと大きいくらいの国土面積と人口しか持たない、小さな国家だ。そこが、これだけの軍事力を持つことの圧倒的アンバランスが意味するのは何か。アメリカ=イスラエルは、その不均衡によって相手を力で押さえつける「和平」を意図しているだろう。だが、抑圧は反発を生む。そして、ゲリラ的抵抗を押さえ込むことは、それこそ相手を「殲滅」でもしないかぎり物理的に不可能だ。 やむことのない抵抗運動は、イスラエルをいっそう圧倒的な武力強化へと走らせる。したがって「平和」は訪れない。アメリカの支えるイスラエルの武力信奉こそが、この地域に不安定要因と具体的な紛争をもたらしていること、「テロリスト」を生み出していること、おそらくアメリカの軍事産業にとってはそれこそ好都合であること。……」(上記、パレスチナ情報センター、Hot Topicsより)

アメリカの軍事産業にとって好都合。その兵器を駆使するため兵士も駆使しなければなりません。余談ですが、私が行っていた某大学の学長さんが、イスラエルにヘリコプターを売る企業をサポートしているとかで、3,4年前にそのことが学校内で浮上して学生による大きなデモへ発達しました。辞職を求めましたが、その学長さんは今でも変わらず、学長職についているとのことです。

私は個人的にイスラエルという国が今、以前にも増してこういう状況になってしまっていることがやるせない。


イスラエルで育った友人が昨日、里帰りをした。テル・アビブに実家がある。イスラエル時間の夜中ぐらいにmsnメッセンジャーでその友人と話した。
―元気?
―元気だよ。今から外に遊びに行くところ。
―そうなんだ。じゃ、後でね。。。
友達と久しぶりに会って、美味しいお酒でも交わすんだろう。テルアビブが懐かしい。
しかし、本当に奇妙な感じがした。勿論、戦争が起こっているからって遊びません、楽しいことはしません、ってことになるわけがないんだけど。9/11の直後に五番街の高級ブティックで買い物し続ける人たちを見て唖然としたときの様子に少し似ている。そうやって「生活を続ける」人たちを表面上だけで批判することはできないけれど、ただとても奇妙で、この感じをどう表現したらいいかわかんないまま、ずっと心に引っかかっている。
ただイスラエル国内では、レバノンでの被害について、海外のニュース等で報道されているうちのほんの一握りしか報道されていない、とのこと。

P-navi Info http://0000000000.net/p-navi/info/column/200607300337.htm
Guardian http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,1833884,00.html