笑えるけど笑えないけど笑えるけど…?

こんなサイトを見つけました。
この間書いたイタリアのトイレ作品とつながるところがあるんじゃないかな。
http://www.catsthatlooklikehitler.com/
『Cats that look like Hitler』−『ヒトラー似の猫たち』
このサイトでは、黒いちょび髭のついた猫の写真を集めて掲載しています。hitlerとkitten(子猫)をくっつけて、Kitlerという言葉まで作られている。と文面だけでみると、ちょっと病気じゃないこれ、って感じるかもしれない。私も初めはそう感じました。
でもこの猫さんたちの写真を見て自分が感じたことを正直に書くと、
ちょっと!笑笑笑。。。ホントにヒトラーに見える!→いや、でも怖い、ヒトラーって言って笑ってる自分が。→でも可笑しいんだもん→でも猫にも失礼だなこりゃ→いやーきっと色んな人から色んな文句付けられてるんだろうしなー簡単に笑えるもんじゃないかも→でもヒトラーのように人間の顔がとてつもない大きな意味を持っていて、とてつもなくはっきりと象徴的だってことはなかなかないものな。→ここで、ヒトラーというアイコンのもつイメージから「印象の良し悪し」を引いてみようか。→そこで残った、この顔の持つ視覚的イメージだけを利用して、たとえば猫の顔とくっつけて面白可笑しくしてしまう、それに対してゲラゲラ笑う、果たしてこうすることに罪を感じるべきなんだろうか。→人の顔が持つイメージを利用してこういうことができるのは、たまたまヒトラーが悪だったからなのか。←→もしヒトラーがこんなにも象徴的な悪じゃなかったら、(例えばネオナチ等に同情的になるのではなくて)って考えたら、もし仮に時代のヒーローだったとしたら、この猫の写真たちはこんなに可笑しく見えるだろうか。→いや、可笑しくない!可愛いだけだ。

というようなことを考えました。ちょっとだけ頭をかき回された感じだけども、結局私は、このサイトを作った人を讃えたいと思う。そういう試みをしていること自体を。このサイトを作っているひとは、そーんなに鈍感な人ではない気がする。
まずここには、このサイトを作った人のコンセプトやよくある質問集などもきちんと書かれていて、この『Kitler』が嫌いな人の意見と、好きな人の意見が別のページに分けられて掲載されています。本当にあなた信じられない、って怒る人もいるし、最高!って大絶賛する人もいる。
唯一正当性のある説明をするとしたらそれは、ただ面白おかしく笑える猫の写真を集めてみた、というところだと思う。黒いのが鼻の下にちょん、って付いている猫、可笑しいじゃないですか。


例えば『嫌い派』に掲載されているメッセージ:

ファシスト人種差別主義を支持するなんてなんてことですか!自分の歴史って物をわかってるの?あなたみたいな人達が私の民族を殺したんです。自分が私たちよりそんなに勝ってると思ってるんですか?あなたは、ヒトラーやナチズムを可愛く見せようとしているんですよ。−小さくて可愛いらしい猫とその嫌悪感を繋げることで。こんなものは可愛くも面白くもないし、感情を害されます。ウォースタイン収容所で(戦時中)過ごした自分の祖父にこのことを話したら、彼はほとんど泣きそうでした。私はあなたからの謝罪を要求します!
−モーゼス・フィンケルスタイン

自分にユーモアのセンスがないと感じるのは人生の中で初めてのことです。ヒトラーとの繋がりを持つに値する猫は1匹たりとも居ません。(私はユダヤ人ではありません。でも結構なりたいと思います。しかし猫は本当に大好きです。)−アリソン


『好き派』のメッセージはこんなの:

ウチの猫みたいな猫が世界中にいるなんて、想像する由もなかった! −べス


あともうひとつ感じるのが、ここではネットの中立性ってのがよく活かされてるし、結局このサイトを一回りしてみてみると最後にはあんまり悪い気持ちが残らない、ということです。それと、私はもしユダヤ人ならどう思うかな〜と出来るだけ想像して書いているつもりだけど、ちょっとこりゃ不謹慎なんじゃないの、と読めるところは承知しています。ユダヤ人の旦那がいるけど旦那も自分の歴史に対してそこまで不感症ではありません。
でも私が最も注目したかったのは、ある強烈な定義を持っている歴史的アイコンの扱われ方とそのもたらす効果。悪のアイコンを皮肉的な意味で使って明確なメッセージを伝える。これはよくあることです。でもここでは猫が入ってくる。もちろんこの猫ちゃんたちは『かわいい』し『家族同然』ってこともある。悪を皮肉的に表現するのに『かわいい』猫を材料として使うことは、難しいしそのメッセージ性を屈曲させる。おっと、でも、これは「たまたまちょび髭のついてる猫」だっていう偶然から来ていることも忘れてはいけない。さらに問題が複雑になる。

まぁ「インターネット」って言ってしまえばそこまでだけど。そんな雰囲気は、確かにある。けど、このサイトはただヒトラー似の面白い猫の写真を見せておしまい、ってだけじゃないところがいい。
でも、でも、サイトで売っているTシャツ、これはどうかと思います。とてもじゃないけどこれを可愛いといえるまで皮肉的にはなれませぬ。
これがTシャツ:


そういえばさっき猫に失礼とか考えたけど、よく考えればそりゃナイーブすぎるかもしれません。もし「自分の猫はヒトラーとして出したくない」、とかいうのあればそれは理解できるけど、でも、、、猫は猫、人間は人間でしょ。違う生物でしょう。。。ヒトラーのイメージを猫に移すなんてひどい!って言われても、ちょっとギャップを感じます。というのは、例えば自分の携帯電話に名前を付けてあたかも人間のように扱う、ような行動から生まれる現実とのギャップ、とかいえばいいのかな。人間も猫も同じく「動物」に属する、っていうの完璧に肯定できるけど、違う動物ですよね。全く、違います。
わたしもそこはわきまえて自分の猫(ポリちゃん♪)に接しているつもりです。バカになりたいから。



あーこんなに長くなっちゃった。仕事に戻ります。