パリといえば...アーレントの

ここんとこ言ったり来たりして読んでいるのがハンナ・アーレントの『暗い時代の人々』です。序章から、まったく素晴らしい。難しいから何度も読まないといけないけど、でも読むたびに思い浮かぶことが違ってきて、ここで弁証法を実践♪とか自分に言い聞かせて満足してるんだけど。
この本について書きたいことは山ほどあるんだけど、まず前のエントリーでパリのことに触れたから、アーレントが本の中で触れているパリの描写について、ちょっと書きたいと思います。これはヴァルター・ベンヤミン(そう、彼もベルリンで生まれ育った)について書いてある章の中にあります。ユダヤ系ドイツ人であるベンヤミンは、第2次大戦勃発後にナチスから逃れて西へ、そこでパリに移住した。彼はもともと、1913年にパリをはじめて訪れている。

かれははたして二〇世紀のドイツでくつろいだ気持ちになれただろうか。おそらくそうではあるまい。一九一三年にかれが非常に若くして初めてパリを訪れたとき、数日間滞在しただけのパリの街路が、ベルリンの見慣れた街路よりも「むしろくつろげる」ほどに感じられた(『書簡集』第一巻、五六ページ)

私はパリ、行った事ないけど、次の一節を読んでて目頭が熱くなってしまった。(アーレントも30年代、パリに住んでいた)

この都市においては人々が他の都市にいるよりもいっそう物理的に保護されているように感ずるのは、壁のように街路に並ぶ建物の前面が同じ形であることによる。大きな街路を結びつけ、天気が悪ければかくれることもできるアーケードは、当時計画中であった一九世紀とその首都に関する膨大な研究を単に『アーケード』とするほどにベンヤミンを魅了していた。(中略)パリでは外国人でもくつろげるのは、自分の部屋のなかにいいるのと同じように、この都市では生活できるからである。アパートに住んで、それを快適なものにするには、それをただ眠ったり、食べたり、働いたりするだけの場所にするのではなく、そこで生活することが必要であるように、都市に住むということも、あてもなく町を通り抜けたり、街路にそって並ぶカフェに腰を落ち着けたりすることが必要であって、カフェのかたわらを過ぎていく歩行者の流れこそ都市の生命である。

(なんてすごい文を書く人だろう。)「都市」に住んでいれば、同じように感じることができる瞬間がいくつもあると思う。ここで、私は「共感する」じゃないけど、まだみた事のないパリ、「あの時」彼女や彼が生活していたパリへの憧れ(過去への憧れだけど)を含めて、都市に生活することの幸せや忙しさ、その他全てひっくるめた矛盾も含めて、生活というもの動き、人間の心や身体の動きのようなものをすごく鮮やかに感じることができる。

こんなことも書かれている:

他の都市では社会の最下層の人々に対してだけしぶしぶと認めていること―怠けてぶらぶらしたり、散歩したりすること― を、パリの街路は実際にすべての人に誘いかける。かくて、第二帝政以来、パリは生活の資や出世、あるいは特別な目標を追い求めたりする必要のない人々のパラダイス、したがってボヘミアンのパラダイスであった。それは、芸術家や作家だけではなく、そのまわりに集まるすべての人々のパラダイスであったが、それはかれらが政治的にも ―家庭も国家も持たなかったがゆえに― あるいは社会的にも統合されえない人々だったからであろう。


パリもパリで、きっと今では何十年も経って変わっただろう。でも、こういうところが、もしパリに行ったら、ぜひ見てみたい(おばけでもいいから)又は感じてみたい、実践してみたい部分だなぁ。
ルイ・ヴィトン本店から遠くはなれて。。。はたまたヴィトンの軒先に並ぶ人の列の傍らを、フラフラと怪しく彷徨ってみることになるんだろうか。