パレスチナの写真展のことについて

昨日のエントリーに書いたことで、りょうがくんという友人からコメントを貰ったことでメールで色々話して言い足したりしたことがあった。それについて詳しくは書かないけど、前もってここで書いてなかったことが色々あるので書きます。
まず、このプロジェクト『Picture Balata』は、写真家、ジャーナリストのMuthanna Al-Qadiさんという人の指導によってパレスチナに住む少年少女たちに写真術を教えて、彼らはカメラを渡されて自分の周りの様子をレンズにおさめる。そういう活動を奨励しているプロジェクトです。
金曜にNYであるイベントは、彼らの写真展をアメリカ各地で開くため、そして写真を撮った少年少女たちを何人か写真展と一緒に呼ぶための資金集めのイベントです。この写真展、ぜひ見てみたい。そしてこれについて何か応援できるんなら、しようか、ということ。そして、この企画がどのように運ばれて、彼らはどのように写真を教えられているのかを知る機会にもなると思う。
こういう活動は、いってみれば最近ポピュラーなものになりつつあるとおもう。ある写真家の白人女性が発展途上国にカメラを何台か持って出かけて行ってそこで子供たちに写真の撮り方を教える、っていうのを収めたドキュメンタリー映画もあったはず。なんていうものだったのかよく思い出せないけど、どこか東南アジアのムスリムの国で女の子たちがカメラを持って自分の日常を撮る、というものだったと思う。ドキュメンタリの予告編だけを観たんだけど、そのときは偽善的、と簡単に批判されてしまいそうな内容のものに見えた。そういう活動が映画化されたり公の場に紹介されるなかでどういう『力』が作用するか、というのが複雑な問題なのだろうと思う。「彼らがカメラを持って写真を撮る」というのが「カメラを持たされて写真を撮らされる」にもなりうるということ。彼らはほんとうに写真を撮りたい、と思うのか。指導する写真家やプロジェクト主催側の思いだけが先走りしてしまわないのか、ということ。そういうこともひっくるめて、見てみたい。(といってもパレスチナに行って写真撮ってるところまでは見に行けないけど。。。)

ただ、すべての被害者は正しい、というイデオロギーみたいなものがまかり通ってるのは問題だと言ってもいいと思う。パレスチナの人々の中にも、批判されなければいけない問題があるのは言うまでもない。でも、そんな「被害者」である彼らの生活も死もすべて人間の手によってもたらされている。イスラエルによる占領や暴力は続き、それが国際面のニュースになることは少ない。それをあたかも自然災害かのように可哀想だけどしょうがない、宗教間のあれだから、とかで済ましてしまう、もしくはそうしてしまわないことは、ある意味誰もが持っている責任だと思う。(責任っていう言葉は簡単に使いたくないけど)それについて何かをするかどうか、ってところになると私も読んだりここに書く以外なーんにもしてないのだけど。でも自分には気にかかる場所だからここでパレスチナのことを取り上げる。

パスポートも容易にもつことができない境遇にいる人たちが、アメリカに自分の撮った作品を持って来てここに住む人と何らかのコミュニケーションがはかれるのなら、それを応援できる機会があるのはいいことだと思う。

まぁどういうものかまだよくわからないので、行ったらまた報告します。