『麦の穂を揺らす風』“The Wind That Shakes The Barley”

すごーく久しぶりに書いてます。。。ブログ。
土曜の夜、ライブに行くつもりが、予定変更してこの映画を見ることにした。(正しい決断とはこのことです。)
とても暖かさのある美しい映画であり、とても重かった。アイルランドという、自分が詳しくは知らない場所の歴史を扱ってるにもかかわらず。なんていうか、内容やドラマ的要素そのものからこれがすごく「いい映画」であるだけでなく、この映画が今の世界に投げかけている(ように見えてしょうがない)象徴的な意味がすごく重みのあるものだった。
1920年代のアイルランド独立戦争と、それがもたらした英国との間の講和条約、それに続くアイルランドの内戦を背景に、アイルランドの真の独立と自由を求めて闘うIRAアイルランド共和軍)の青年達を描いたもの。
(いたるところでアイリッシュ訛りが聞き取れなくてちょっと自信ない。。。慣れるまでの間は、すべてはぁ??という感じだった。汗)まぁ、いってみよう。
映画のいたるところで出てくる、山や丘の緑が痛いぐらい緑。アイルランドでどんなに酷い暴行があったのか、私はよく知らなかった。このクリシェのような緑が、アイルランドのイメージといっても過言ではありません。。。

冒頭で、アイルランドの田舎町に突如現れた英国軍の治安警察(ブラック・アンド・タンズと呼ばれるアイルランド人の抵抗を鎮圧するための治安部隊)によってアイルランド人の若者数人が尋問を受ける場面があるんだけど、そこで若者のうちの一人が、英語ではなくゲール語で自分の名前を言ったことでその場で治安部隊に殺される。こういった、英国のアイルランドに対する圧力と暴力のすさまじさを見せ付けられるような場面で映画が始まる。
イギリスの支配から逃れ、独立のために闘う。数の上でも英国軍には勝るはずのないIRAのメンバー達が、粗末ながらにも武装して英国軍を狙撃していく。そして迎える講和条約。これは、『アイルランド自由国』としての自治を認めるが、依然として英国の統治の下に納まる、という条件のもとでの条約に終わる。そこで、アイルランドは、「停戦にたどり着き、自治権は確立された」と考える人々と、「でもアイルランド人は完全に自由ではない」と考える人々とで分裂する。そうやって独立戦争で共に闘ったIRAのメンバーが敵同士になり、アイルランド内戦へと発展する。
映画の中では、IRAの重要なメンバーであるテディーと、その弟のデミアンのふたりが、内戦では敵同士になってしまう。テディは新たに結成された『アイルランド自由国』の軍の主要力となり、デミアンの属する『共和派』はあきらかに少数派となり、『過激派』とも呼ばれる。デミアンは最後まで、国の独立と自由をもとめて闘う「ヒーロー」として描かれている。デミアンの人間としての暖かさと信念を貫き通す姿は、派閥を経て英国統治の下『自由国』の兵隊になった元の仲間や兄のテディを裏切り者のようにみせる。軍服に身を包んだ『愚か者』のようにも見える。でも、私は今ひとつデミアンのとった立場に同情することができない。IRAの一員として、英国からの独立のために闘った。多くの人が犠牲になり、そこで得たものは『ある程度』の自由だった。そこで、それでも足りない、真のアイルランド共和国の自由のために、と闘い続けることの意味はなんだろう。自由のためには、人殺しを避けることができないのか。デミアンの論で考えると、避けられない、ということだと思う。そこで、一歩立ち止まって、講和条約ができた、これでいいじゃないか、ということがベストだとも思わない。特に、映画の中でテディが処刑されようとしているデミアンを説得するセリフ、「家庭を持って、平和に暮らせばいいじゃないか」みたいな文句は、妙に安っぽく聞こえてしまう。でもこの内戦で革命を起こしたとして、自分たちの好きなことができる国ができるとする。でもそこで自分の意見とちがう人間が出てきたら、やっぱり殺さなければいけなくなるんじゃないか。そういう悪循環の悲劇をこの映画から感じた。それは、映画の中じゅう感じたことだけど、パレスチナイスラエルの間で起こっていることと少なからず重なる。占領するイスラエル、そこに対抗し、分裂してしまうパレスチナ。両側の言い分が、結局は感情をたよりにしたレトリック等によって、自分達の闘いが本当に引き起こしている現実というものから道をそれてしまう、ということだろうと思う。
デミアンが獄中で、処刑されるか、それとも降伏して兄のいる自由国軍に加わるか、という選択を迫られているとき、彼は、結局は諦めることができない、という結果を出して、処刑されることになる。そこでデミアンの出した結論の理由は、彼が過去に独立戦争のときに裏切り者となった仲間を銃殺した、ということだった。この出来事が、彼の感情の中に消えることのない傷となって残っている。これを犯してまで、自分達は闘ったんだ、ということ。それはデミアンが、選択の余地がなかったこの銃殺に対して抱いているすごく人間的な恐怖ともいえるし、そのことが、究極の自由を求めるあまり彼をある種の盲目状態に陥らせている、ともいえるのかもしれない。

このことは本当には理解できそうにない。デミアンの処刑を行うのが、たった数年前まで仲間として独立戦争を闘った友人だったという場面が、とてつもなく悲しかった。




Crassの歌"Bloody Revolution"を思い出した。
You talk about your revolution, well, that's fine
But what are you going to be doing come the time?
Are you going to be the big man with the tommy-gun?
Will you talk of freedom when the blood begins to run?
Well, freedom has no value if violence is the price
...
Nothing changed for all the death, that their ideas created
It's just the same fascistic games, but the rules aren't clearly stated
Nothing's really different cos all government's the same
They can call it freedom, but slavery is the game
...