トンプキンズ・スクエア公園の暴動 '88

やはり書きます。
この日のライブは、イーストヴィレッジにあるトンプキンズ・スクエア・パーク(公園)で1988年にあったNY市警による暴動を記憶するために、ミュージシャンや活動家が中心となっていつからか(定かでないが)毎年開いているイベントです。(たぶん?毎年、よね。)
88年夏、NY市は、この公園を「きれいに」するために閉門時刻を早める等さまざまな措置をとっていました。多くのホームレスの人が暮らし、夜な夜なのパーティー、酒、麻薬、などがごったがえしていたこの公園を規制し、「住民の人々に返そう」と、そしてホームレスの人たちを「転居させよう」と。
公園ではいろいろな形でのデモが行われていた中、8月6日、ついに市警 対 公園利用者/アクティビストのあいだの暴動に発達しました。この暴動は、このときの警察の暴力の酷さでよく知られています。ただの傍観者を巻き込むにまで至り、40人以上もの怪我人を出しました。(怪我人には、警察官も含む)当時の目撃者の話を借りると、黒人女性に対して「You Nig×er Bitch」と叫びたおす警察官がいたり、またある警察官はプロテスターの一人の身体を振り回して壁に叩きつけたり。詩人のアレン・ギンズバーグも目撃者のひとりで、彼は「警察はパニックに陥って、ただ何もしていない、横で見ていただけの傍観者さえも殴りつけていた。」と証言したそう。
その夏の日をしるすために、始まったのがこのライブイベント。地元のパンクバンドが中心となって、活動家などによるスピーチもバンドとバンドの間に加えられます。ここ数年やっているLeftover Crackというバンドは2004年から中心になってイベントを開いている。今年のイベントは、トンプキンズ・スクエアが使えなかったらしく、西側のワシントン・スクエアに移動になりました。イベントは全体的にすごく平和的なものでした。(なんで使えなかったのか、調べてみたい)
私はここでアンチ・ポリスにもプロ・ホームレスになるつもりはないけれど、この88年の出来事は警察側のあまりにも酷い抑圧、という意味で、そして何がその残酷さを招いたのか、を考えるという意味で記憶する価値があると思う。そして、今NYがこんなに「安全」といわれる、その背景にあったことを考えるべきだと思う。たった20年前の話です。出来事としては昔話かもしれないけど、NY市はまだ同じゴールに向かっていると思うし、他の場所でも似たようなことが繰り返されている。世界中の場所でです。
イーストビレッジとこの辺の地域は、今でもパンクのSquatがあったり、音楽、アート、文学、などなど、人と人を結びつける原点がいたるところにある場所です。商業的でない活動が沢山みられる場所でもあります。やっぱりNYっはすごいスピードで変わっていく都会だけれど、この下町のイーストビレッジは、人が混ざり、文化が混ざって人間がどうやって生きてきたか/生きているかという証を残すような活動が行われ、それがいつまでも残っている場所だと思います。私も、いつまでも残したいと思う。そういう活動に加われたらいいな、と思う。
短いけど、ここでいったん終わります。

暴動の翌日のNYタイムスの記事が読めます(英語)