最近仕事が忙しくて張りがある。本の校正、先行販売(言ってみれば営業ね)、新しいクリニック設立のためのプロモーション、夜は友達のショートフィルムの撮影。2ドル餃子もわざわざ遠くまで食べに行く。よく食べよく飲み、よく寝る。よく猫と遊び、よく歌う。良いかんじだ。ただ、そろそろ昇給をお願いする時期かもしれない。いいこと続きで、最終的にはお金があればね、という話になる。情けないではないですか。ランさんに言わせたら、私はユダヤ人化してきていて嬉しいらしいけど。私がヘブライ語で一番最初に覚えた言葉もKesef(金)。でもこのことは、誇りに思っていようと思う。
お金の話が多い。極めて多い。イスラエル人や沢山のユダヤの人たちと親交を持つようになってまず思ったこと。何かって言うと金。

−A. 最近新しいアパートに引っ越したんだ。
−B. あら、おめでとう。で、いくら払ってるの。

−あら、その服、素敵じゃない。高そうね。

−○○大学に入ったんだって?すごいね。いくらぐらい奨学金もらってるの?

とか、極端にいうとそういうかんじ。最初は何でもかんでも金金うるさいなー、って思っていたけどもう最近はそういう言葉にも慣れて、逆に可愛らしく感じたりもする。まあ色んなパターンがあるけど。私の周りのユダヤ人の人たちはそれを自覚さえしているので、私が向こうに合わせて金金話し出すと逆に失礼にあたることがある。そうやって私はランの弟を一度傷つけてしまった。まあでも、可笑しい冗談が色々出てくるわけで。簡単に言うと、ケチに過ごしていると生活に楽しいネタやコツがたくさん生まれると、思います。将来、自分がお金持ちになるのかどうか全然わからないけど、世界のどこにいても、割り箸と輪ゴムはちゃんと取っておきたいと思う。
彼らの“お金に対する執着心”にはいろんな歴史が絡んでいるのだから、あんまり面白おかしく言ってしまうのもなんだけど、この話を聞いたときには、“可愛い”の他に何も言葉が見つからなかった。ランが、彼の最近読んだ本("Shoa Shelanu″−意:私たちのホロコースト)の冒頭に書かれているあるおじいさんの話をしてくれた。このおじいさん、紅茶を飲み終わった後に、ティーバッグを乾燥させて何回も再利用していたらしい。本の語り手は戦後生まれの比較的若い男の人なのだけど、彼が本の中でそのおじいさんを回想するとき、“まずこのじいさんは、とにかくケチだった。”と書かれてこの話が始まる。本の内容はホロコーストで生き残った人々がイスラエルへ入った後の話で、それがなんともユーモアたっぷりに書かれているらしい。英語版は来年出るらしい。是非読んでみたいです。

Our Holocaust

Our Holocaust

私が今四苦八苦して読んでいるのはハンナ・アーレントの“エルサレムアイヒマン”。最初は難しくて何度も諦めたけど、今やっと調子よく読んでいる。日本語版のこの本を譲ってくれたお兄様に感謝。これについてはまたゆっくり書かなければなりませぬ。。。