アドルフ・アイヒマン続き

ああ、このあいだアイヒマンのことを書いてから10日以上経ってしまった。
でもまたいきなり始めることにする。
とにかく、
いかにナチスの人間達が“自分は何も間違ったことはしていない”という精神状態を保つことができたか、ということが、とても興味深い。現に、アイヒマンは自分の無実を証明できる、という自信があったからこそこの裁判に臨んだのである。裁判の間、彼は多くの場合冷静に、自分の主張を貫き通そうと、裁判に臨んだ。

下記署名の私、アードルフ・アイヒマンは、私の真の身分があきらかにされた以上、これ以上裁きを逃れようとすることは無益であるとはっきり認めていることを私の自由意志でここに言明する。法廷に、合法的な正式の法廷に出るためにイスラエルに赴くことに異議はないことをここに私は表明する。私に弁護士がつけられることは当然前提される。(“多分ここまでのところはあらかじめイスラエル側に用意された声明を写したものだろう。”とアーレントは書いている)そして私は、後世の人々が真相を知りえるように、ドイツにおける私の公的活動の最後の数年間にあったいろいろの事実を何の粉飾もなく書き留めてみよう。この声明は、約束を与えたから、もしくは脅迫を受けたからではなく、私自身の自由意志からおこなうのである。そろそろ私も自分自身と和解して生きたいと思う。すべてのことを細部にわたって思い出すことはできないし、事実を混同することもありそうだから、真実を求める私の努力を助けるため資料や口供書を私に使わせてほしいと思う。

これは、アルゼンチンで捕まった2日後にイスラエルの法廷で裁かれることに異議はないと文書によって声明することを要求され彼が書いた(半分は写した)ものである。彼の冷静さがよく見られると思うが、ただ読んで嫌気がさしてしまうのが、“ドイツにおける私の公的活動”という部分だろうか。まだ言っているのか。という感じだ。
アーレントは文中の第8章を“法を守る市民の義務”と名づけて、「国家によって犯罪が正当化されていた時代」(実際アイヒマン自身もそう言っていた)におけるドイツでのあらゆる暴力に対する“正常さ”(ゆえに異常さ)を書いている。まず、第三帝国は、“ユダヤ人問題”は、法の力で解決できる問題ではない、と決定し、彼ら自身の行い、思想をすべて法に組み替えてしまったのだろうと思う。こう書くとおかしいかもしれないけれど、即興的な法、みたいなものかもしれない。「上からの命令」、つまり、総統、ヒトラーからの命令はすべて守らざるを得ない何らかの“法”としてライヒで働く人々の上にのしかかったのであろう。ナチス内の者に関わらず、ほとんと全てのドイツ市民がそういう考えの下に暮らしていた。と言っても、アイヒマンが法廷で口述する彼の主張はほとんど、言い訳がましい何か、と呼びたくなる。アーレントの指摘するところによると、アイヒマンはある程度の上層部に昇級したにもかかわらず、一般に言う知識人ではなかった。書物にはほとんどゆかりのない人間だった、という。(特に、“ユダヤ人問題”を管理する立場にあったにも関わらず、ユダヤ人やユダヤ教に関する本はたった一冊読んだ程度だったのだから驚き。)

自分にはユダヤ人を殺害したい、絶滅に踏み切りたい、という個人的意思は全く無かった、というのが彼の主張で、それは、実は本当なのかもしれないけれど、(というのはアーレントの言うところによるとアイヒマンは実際に個人的なユダヤ人の友人も数人いたらしい。)しかし少なくとも彼の主張がある程度の“戯言”として受け止められたのは事実だと思う。世論、法廷の両方において。裁判当時のアイヒマンは、強制移住、強制移送、(“移住”はユダヤ人に住居や土地を与えるが“移送”は単に収容所へ押しやることのみを意味する)の試みを経て、ヒトラーが“最終的解決”として「ユダヤ人の肉体的絶滅を」命じた時のことについて、こう語っている。

「今でも私ははっきりと思い出します。彼(ヒトラー)がひどく慎重に言葉を選んだので、最初私は彼の言うことの意味が掴めませんでした。やがて私は理解しましたが、何も言わなかった。言うことなどもう全然なかったからです。私はこのようなこと、このような暴力的解決を一度も考えたことが無かったのですから。これで私は全てを失ってしまった。仕事の喜びも、自発性も、興味もすべて。私は言ってみればぶちのめされた。」

何とセンチメンタルな主張だろうか。アイヒマンが主張したいのは自分の良心なのであって、でも何に対する良心なのか。殺害に比べて強制移住は全然良い、という程度の意味にしか聞こえない。まるで、“私はユダヤ人を追放するために、ドイツ市民の平和のために、私の人生をかけてこんなに私の仕事に熱心に頑張ってきたのに、殺害、という形で終わってしまうとは!”って言っているようだ。確かにアイヒマンは、とにかく自分の仕事に対する執着心が強く、出世のためにいろんな努力もしたし苦労もしてきた人なのである。そこらの誰とも変わらない仕事熱心なおじさんだったのである。
良心ということについてもう一つ気になる点がある。アイヒマンはアルゼンチンでもイェルサレムでも自分の犯した“罪”(おそらく、事実で否定しきれない範囲における罪を意味するのだろう)を進んで認めていたらしいが、そのときのアイヒマンの姿勢は、「第三帝国の一般的な、しかも一般から受け容れられている雰囲気をなしていた常習的な欺瞞の風潮に由来するものだった。」とアーレントは書いている。この“雰囲気”を代表するひとつとして、終戦時のナチスやドイツ市民に共通して存在した言葉がある。「昔の敵と和解できればと思う。」こういって彼らはまったく同じ言葉でこの感情を表していたのだそうだ。この“紋切り型の決まり文句”を言うとき、彼らの感情に生まれるのは、アーレントの呼ぶ“素晴らしい悲壮感”で、これはアイヒマンの頭の中にも溢れんばかりに詰め込まれていた、とアーレントは書いている。アイヒマンは法廷で自分の良心を訴えられたときはいつもこういう“悲壮”な話をしたのだそうだ。そうやって自分を慰めるように。とても失望的な話だけれど、これもアイヒマンが“怪物”ではなく感情のある紛れもない人間だ、ということを確かに表している。

よく思うのは、ドイツがユダヤ人に対して行ったことと、たとえば日本軍がアジアの人々に対して行ったことを比べるのは、粗末な考え、いろんな意味で。というより、“ヨーロッパで起こったこと”と“アジアで起こったこと”を比べるのがお粗末、というふうに言ったほうがいいのかもしれない。もちろん“起こった”ことで片付けてしまうこと自体があってはいけない考え方なのだけど。(特にユダヤ人である私の旦那に話すとき、意識的にアジアで行われていたことと比べることを避けてしまう。尤も私の言葉足らずが原因なのだろうけど、うまく説明できない。でも私はとんでもない次元の違いにおいてもよく比較したがるので)双方の事実の根本は違う。それでもでもその“暴力を働いていた人々”の精神構造には共通点があると思うし、ただ単に数値で測れることではなくなるし、残虐さの程度で比べられることではなくなってしまう。“殺してもいい、上の人が殺せと言うから。”とか“あいつらは悪いやつらだ。皆がそういうから。”とかいう精神状態はあらゆる戦争や闘争の中で正当化されていて、さらに言ってしまえばそれは無意識に私の心の中にも存在することだと思う。多かれ少なかれ。そういう意識があったからといって、例えばその人が精神異常であるとはいえない。もっとこういう概念や思想について知りたいと思う。