Selling my soul to corporate world

こんにちは。
血の滲む様な準備を経て第5回大腸手術セミナーが終わった。30人余りの外科医が集まる小さなセミナーだけど、ああだこうだ話し合いながら最新の機器を使っての手術の勉強をすることは医者じゃなくてもすごくためになる。みんな色々議論しながらも戻るべき原点はどれだけ患者さんのためになるかを考える、ってことが良く分かっているので。そんなの当たり前だろ、と思うところだけど、お医者様の中には自分がどれだけ技術に優れていて賢いか、ってことを見せたいだけの人もいる。がんばれよー。。。
嬉しいことに今回は実際私の仕事を見て“何か描いてくれんかね”、という人が何人か現れたのでセミナー中にこっそり抜け出してオフィスで急いで名刺を作り、プリントアウトしてトリミングしてカードにした。職場では自分の名刺など作ってもらえない。加えて、来月(今度こそは出ると思う)出る本のフライヤーも簡単に作って配る準備をする。セミナーの終わりに、参加者に一人一人話しかけて“あたいの新しい本が出るから買えよな”と、まるでライブ会場の外のフライヤー配りのように一人も見逃さない。この機会に、ボスをひっぱってきて、仕事を頼まれてるんだけど、あなたももっと私のこと有効に使ってよ、とお願いする。考えてみると、ここまで自分のプロフェッションを売ろうと精一杯になったことがなかったなあ。そもそも偶然の重なりのようなもので今のお仕事ももらえて続けているからなあ。という自分はそんな環境にもったいなさを感じて、何でもやります、へいへいやります、と色んな雑用を引き受けることになっている。おかげでボスはじめ皆様には信用されているけど、メディカルイラストレーターが汚れた医療器具を手洗いしているようじゃ、まずいよね。ちょっと自分を見つめなおしたほうがいいだろう、ということがやっと分かってきたのかもしれない。
それと、アメリカ一般のメンタリティみたいなもので、私みたいな人はあらゆる人にとって、“安く使える”ターゲットになりやすい。信用されるのはいいけど何でもかんでもやってやってと頼まれまくる。ミスがあったときには自分のせいにされ、それを弁解するのも面倒なのではいごめんなさい、と思わず自分から言ってしまう。悔しいけど。もう過去に何度も悔しさで泣いているので、最近はちょっとしたことで感情的になるのを避けるようになっている。疲れるし、夜眠れなくなる。でも恐ろしかったのは、うちの課のあるおっさんの机の横に、“どうやって間違いを人のせいにするか”というチャートを貼っているのを見つけたとき。心理ゲームのように、yesとnoの矢印に従って問題解決します、という様なチャート。あれにはゾッとした。まあこの人は極端な例だけど。
人は仕事を通してどんな人間になりたいのか、わからない。そんなことすら考えてないんだろうか。部下の間違いを責めるとき、どんな醜い言葉で人を傷つけているか、わかっているのか、どうなのか。仕事だから、と私生活では忘れることが出来る仕組みを彼らは体の中に備えてあるのか。でも自分の場合は、職場だからと言って感情を殺して物事を片付けていると、ドライな人間になりそうで怖い。でも、感情の左右はとにかく疲れてしまうし。。。
ま、今日のことで、少しずつだけど自信を持って“俺は描くことしかやりたくねえ。”と言えるようになってきた。今まで、どれだけ遠慮してたのか。ま、私は行動が遅いのをどうにかしなければ。
今、外ではほとんど地面と平行に激しく雪が降っている。チャリでクイーンズの奥深くへ行く計画も、コネチカットの友人を訪ねる計画もつぶれた。3月にはライブを見に西海岸へ行きたかったのだけど、3月なんてもうこっちはあたたかくなってるじゃないか、と考えたらわけがわからないうちにライブを観る希望が失せてしまった。
行動力のなさを思いながらも自分を慰める方法を良く知っていると思う。How silly.
今何が楽しみか、といったら明日昼ごろに起きて飲むコーヒー。