最近ふと思うこと・おじいちゃん

なんだか長い間書いてなかったなあ。書くことが見つからんかったというか、書き始めては、あーやめた。っていう感じになってしまってそういうのが2週間ぐらい続いている。ま、別に悩むほどのことではないけど。飽きっぽい性格がここにも出てきたか。。。
本は、今はサイードの自伝をゆーーーっくりだっらーっと読んでいる。本当に面白い。物語を語る、っていう意味での彼の書き方は本当に楽しめる。どんどん引き込まれるというか。パレスチナでアラブ人のキリスト教徒の裕福な家庭に生まれて、少年期をエルサレムとカイロで過ごして、常に両親の監視のもとで厳しく育てられた、というなかなか面白い境遇で、とか私が言える立場じゃないけど、とにかく複雑な出来事が子供時代にたくさんあったという人らしい。(それにしても、子供の頃の記憶がすごく鮮明に書かれている。まったくすごい。)で、彼自身何度も繰り返しているのが、お父さんとの関係。自分の息子に対する理想のとても高いお父さんと、いかに噛みあわないでサイードが育ってきたか。とにかく、彼の日常生活の中には「禁止」というのがあふれている。思わず笑ってしまったのが、姿勢の悪い彼の背筋を伸ばすために「筋肉養成ギブス」*1のようなものをはめさせていた(サイードが20歳ぐらいになるまで)とか、信じられないようなエピソードがいっぱいある。今は思春期の頃のことを読んでいるので、面白くなるのはこれからか。彼のパレスチナ人、ていうことへのこだわりがどこでどういうふうに生まれてきたのか、とても興味深い。
彼が亡くなる直前に出された本、「オスロからイラクへ」は途中まで読んで、しんどくなって中断してしまった。彼のパレスチナ擁護/イスラエルアメリカ批判、というはっきりした姿勢のせいなのか、それがしんどいのか、よくわからないけど、でも本当に大事だな、という考え方はを沢山書いている人だし、なによりも彼の最期に書いている、伝えようとしている、っていうメッセージがすごく伝わってくる。でもそこで、感情的になって同情するような気持ちで読んじゃいかん、というか、常に冷静に、特に彼が歴史上の「事実」として書いていることはほんとにそうなのか、疑っていかなきゃいかん、て思いながら読んでいたら、えらくしんどくなってしまった。自分の知らないことも多いし。そうこう考えていたら、彼が頭よりも心で書いている部分が、本当は大事なことなんじゃないか、と思うようになった。(とりあえず歴史書じゃなくて、エッセーだし!)ということで、この本はもうちょっと色々なことに詳しくなってから読みたいと思います。

遠い場所の記憶 自伝

遠い場所の記憶 自伝

オスロからイラクへ―戦争とプロパガンダ2000‐2003

オスロからイラクへ―戦争とプロパガンダ2000‐2003

ランのおじいちゃんが亡くなって2ヶ月経った。長男のRamiおじさんがお葬式で読んだ弔辞を、この間ランさんが英語に訳した。すごくいい文で、優しくて綺麗で、遠くで急に亡くなってしまったおじいちゃんの写真を眺めながら、ぼーっとする時間が増えている。去年の冬にはアメリカまで来て、念願だった自分のおじいさんとおばあさん(アメリカに住んでいた)のお墓参りに行った。喋るのが好きで、自分の若い頃の話(第2次大戦中から、パレスチナに着いて。。。という話)を何度も聞かせてくれた。これを毎日聞かされている家族の人達はうんざりの苦笑いだったけど、私には今まで聞いた事のない話ばかりですごく感動的だった。そのとき、黄昏時のお墓で撮った何枚かの写真の中にいるおじいちゃんは今、憧れのヒーローみたいになっている。交わした言葉は少なかったけど、会うたびにぶっちゅーんっていう湿っぽいキスをほっぺにしてくれるじいちゃんだった。もうちょっと私のヘブライ語が上達するまで待っててくれたらなー。
おじいちゃんへの弔辞も、日本語に訳して書いてみよう、そのうち。。。

今年の1月、イスラエル

*1:イードの説明によると、昔渡辺美奈代の出ていたテニスかなんかのドラマで女の子がつけてたバネのいっぱいついているやつね、あんなのです。本当に存在したとは。