イアン・ブルマ 講演

金曜日にランの通ってる学校でイアン・ブルマさんの講演があった。わたしは今ちょうど彼の『戦争の記憶−日本人とドイツ人』という本を読んでるところなんだけど(これは色んな面から2つの国の比較を行っていて面白い)、でも今回の講演の内容はヨーロッパにおけるムスリム移民の現状、彼らとEU社会を取り巻く問題について。去年出た『 Murder in Amsterdam 』という本に関してのものだった。(私は読んでいない。)すごく興味深い内容なのだけど、講演自体は、なんか突っ込んだ話を聞けなかったなーという感じだった。
彼はきっとすごくリベラルな視点から物事を考えていて、何事も、みんな協力してお互いを理解しあえば大丈夫だよ、みたいな雰囲気で閉められてしまうみたいな印象。メモったことをちょっとまとめてみると、
“現在EUの国々には約1500万人のイスラム教徒が住んでいて、将来的には人口の半分が外国籍出身者になる、でもそれは警告であるとは限らない、、、彼ら子や孫はヨーロッパで生まれ育つ「ヨーロッパ人」になるから。。。”
ヨーロッパ人になるから、ってなんだろう。まず彼はヨーロッパをどうもひとくくりして考えてしまう癖があるのかもしれない。ていうかそこまで頭の悪い人とは思わないけど、それぞれの国々でそれぞれの「ヨーロッパ人さ」っていう固執した概念見たいのが根深くあるのはヨーロッパの特徴だと思う。ムスリムの若者がいくらヨーロッパ的社会に溶け込んでもそれを受け容れられない社会の目ってのがある。それは、何なのか。ということを彼はあまり話さなかった。問題がある、ってのはわかってるんだろうけど、リベラル的に、言葉の使い方を気をつけなければいけない=それぐらい気をつけてれば大丈夫、みたいな印象を与える話し方しかしなかった。
極右とかの問題についても突っ込んで話が聞けなかった。
“移民コミュニティーの中で、一番「溶け込んでいない」、一番トラブルの少ないのが中国人のコミュニティー。彼らはチャイニーズを食べ、チャイニーズを話し、自分のコミュニティーの中で徹底して生活をする。(一般的に)でもはたしてそれが「モデル移民」だろうか?そうではない。 。。。”
じゃあ、なんでそうではないんだろう?興味深い例を出したのに、すごくあいまいな感じで話が終わってしまった。そもそも、なんで「モデル移民」のような捉え方が出てくるのか。それ自体が人々を隔離している問題なんだろうな。
“移民をスムーズにするための法などについては、政治家に頼るべきところではないと思います。規制を作ってしまうより、コミュニティー内の人々自身が、社会が一環となって取り組むべき。。。。”
すごく微妙な問題だと思うけど、もちろんこれで納得できる話ではない。彼はとにかくこれ以上話そうとしない。うずうず。EU全体なら全体でのポリシーを作るべきなのか、そうしたところで移民を隔離するようになるのもいけないと思うし、だからといってほったからかしに出来る問題ではない。

問題によってヨーロッパ全体/イスラム と分けられることと、フランス/イスラム や オランダ/イスラムって国によって分けて考えなきゃいけない部分がどうしてもあると思うのだけど、それが彼の話でははっきりわからなかった。ヨーロッパにおいて、国家って何なのだろう。ブルマさんはフランスの例を出して、フランスでは移民も全て「フランス国民」になれる。。。と言ったっきり話が途切れた。だからフランスでは状況はマシだといわんばかりに。そんなことぜーんぜんないのに。フランス人的なフランス人って、あるでしょう。法や規則がそなわっている表面的な「良さ」に頼っている感じがした。ちゃんと向き合いましょうよ、と言いたい。

でも、すごく興味深い内容の話ではあった。ただ全部がちょっと綺麗すぎた、という印象がありました。
それと話の途中で、どうしても、もしこれが日本だったら、、、と例えずにはいられなかった。悲しいけど、ありえないことだなぁ。

しんどい。以上です。もっと考えていきたいです。